ダンサーとしての初舞台の思い出 最終章


さて、なぜか三部作になった記事の最終章です




無事「白鳥の湖」に出演が決まった私



しかし、本番までの道のりは順風満帆とはいかず



予想に反した苛立ちの連続でありました







リハーサルが始まりました



まずは最初のポジション決め





私のポジションは舞台上手側の一番端となりました



(こんな端っこ!)



この作品に一番の情熱を持っている私がこんな端っこということに



ちょっとイラっと来ましたが



まあ、ここは黙っておくことに







いよいよ振り付けが始まりました



最初の16小節は(長!)ポーズをとったまま動きません



そのポーズとは観客席に対して横向きに立って


両腕をまっすぐ横に伸ばし


手首はだらんと垂らします


そして頭は下に向いた


カカシのようなポーズでした




先生は



「曲の最初は白鳥さんはまだ眠っています」



と言いましたが



どう見てもカカシでした



私のバイブル「バレエ入門」を持っていない先生が



バレエのことをどこまでわかっているのか甚だ疑問でした




でも足が唯一バレエっぽくて



この写真の一番前のようなポジションです

でも、皆さん



やってみてください!



カカシポーズで足はこれ



16小節も立ってられます?





かなり難しいはずです




それでも私は鬼の根性で耐えていたのですが



みんなグラグラ



1秒も立ってられません




真剣にやれよ!







すぐに変更になり


上げている方のつま先は床につけることになりました




グッと楽になったので


私も気合を入れ直し



グググー!っと根性でキープ!!!!



なのにヘタレな他の子供たちはまだグラグラなのです!!!



気合が足りん!!!!!






また変更になり


とうとう写真の一番後ろのような


ちゅーと半端なポジションにすることになってしまいました




「さっきのほうがきれいやのに!」




なぜ、綺麗な方を実現させようと努力をしないのか!


なぜ、先生もできない子にもっと厳しくしないのか!


なぜ、もっと練習させずに簡単にふりを変えてしまうのか!!





あなたたちにダンサーとしてのプライドはないのか!


先生に振付家としてのこだわりはないのか!!!!!!








・・・ないやろ(笑)







その後も


覚えられない、できない子たちに合わせて


振りはどんどん単純化されていきました




私はその度に




(さっきのがよかったのに!!!)と苛立ちを感じることになったのです



もっと練習させてから検討すればいいのに!というような意味のことを



検討とかいう言葉は知らなかったけど思っていました








まあまあバレエっぽかった最初の振りは



どんどんただのお遊戯会レベルに・・・






って、ただのお遊戯会やけどな










しかし踊りながらポジションをいくつか変え



そして曲の後半



私はセンターにまで移動していました





そしてフィナーレは



横一列状態からどんどんセンター(私)が前に出て



私をセンター最前列としたピラミッド型でフィニッシュ!




曲の最後の瞬間にセンター最前列でポーズを決められるということで





最初のポジションの端っこの不満も


お遊戯会レベルに成り下がった振りに対する不満も





まあ、受け入れることができました





特に私がどんどん前に出るところは


一番のお気に入りでした






内気で引っ込み思案、恥ずかしがりのくせに


舞台の上では楽しくてしょうがないのとか





面倒くさがりでダラダラしてるくせに


好きなものにかけては極端にやる気になるのも



この頃からだったんですね




性格ぜんっぜん変わっていないわ







チュチュは先生が


白いビニールを使って結構可愛く作って下さいました


髪飾りも





今思えば先生、バレエなんか知らないはずなのに相当頑張ってくれたのだと思います



チュチュも、振りも






リハーサルではなかなか悔しい思いもしましたが




こうして大満足で年長組のお遊戯会を終えることができました








大不満の「銀河鉄道999」の年少組の時とは違い



「白鳥の湖」に全身全霊をかけた年長組の私は



それ以外にどんな曲が他にあったのか、全く覚えていません



他の曲なんか全く興味なかったみたいです








以上が私のダンサーとしての最初の章の思い出です




























Dolce fer Niente by Nana

1999年にNYのダンス学校に留学、パフォーマーとしてNYで活動 2002年より「アコースインミラクルズ(奇跡のコース)」を学び ヒーリングセンターCRSにてカウンセラー、講師として活動、2015年に帰国 ブログタイトル”Dolce fer Niente"はイタリア語で「何もしないことの甘さ」 何もしないで満たされた時間を過ごせる、心の余裕を目指します

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