心の二つのモードについて 1
私たちの心には二つのモードがあります
ひとつめは「愛モード」
そしてふたつめが「恐れモード」です
心は常に、この二つのモードのどちらかにあります
同時に二つのモードになることはありません
必ずどちらかです
またこれ以外のモードも存在しません
ひとつのモードしかないという人もいません
全員が、この二つのモードを持っています
またこのモードにはレベルというものも存在しません
Aさんの「愛モード」はレベル1だけどBさんはレベル3、なんてことはありません
大きさもありません
みんな同じ「愛モード」と「恐れモード」があります
ただし、その人がどちらのモードになっていることが多いか、時間の分量の差はあります
1日の多くの時間を愛モードで過ごしている方もいれば、恐れモードが大半という方もいます
私たちの多くは1日の中でこの二つのモードを行ったり来たりしています
愛モードでいる時、人は幸せを感じています
では恐れモードでいる時は幸せではないのかというと、そうでもありません
幸せを感じていない時に恐れモードにいるのは確実ですが
でも恐れモードでいる時にも、幸せを感じていることもあります
ここがちょっとややこしいところです
さらに私たちの多くは(全員ではありませんが多くは)恐れモードが基本設定になってしまっています
つまり、朝起きたら自動的に恐れモードで1日が始まっていると思っていて良いでしょう
愛モードになるには切り替えが必要です
切り替えは、自然に起こることもあれば誰かのおかげで起こることもありますが、自分で意識して自由に切り替えることも可能です
ただし、今まで意識したことがないという方は、最初は心のトレーニングが必要です
そのトレーニングをこのブログでは「心の筋トレ」と呼んでいます
体の筋トレは1日や二日で効果の出るものではありません
心の筋トレも一緒です
心の筋トレは、体の筋肉を鍛えることと本当によく似ています
誰でも、いつからでも、やればやっただけの筋肉が付きます
ある程度筋肉が付いたらちょっとくらいサボっても急に筋肉がなくなってしまうということはありませんが、あまりに長くおやすみしてしまうとやはり筋肉は落ちてしまいます
どちらのモードでいるかは、常に自分自身の選択によって決められています
私たちは「こっちのモードの方がいいだろう」と自分で決めてるのです
先ほど「恐れモードが基本設定になっていることが多い」と書きましたが、それも長年の自分の選択でそうなっています
「恐れモードにしておいた方がいいな」と、自分で選択を続けてきた結果、恐れモードの方が基本設定になっているのです
(なぜそうなったのかは、また後ほど詳しく書きます)
誰かや何かに強制されることはなく、決定権は完全に自分のものです
決定権は自分にあるものの、今まで意識して決定してこなかった私たちは、選び方を忘れていたり、うまく選べません
また選ぼうとしても恐れモードに留まることに執着してしまって、うまくいかないことがあります
だから筋トレが必要です
愛モードにいる人は、恐れモードにいる人がそれを望むのであれば、愛モードに切り替わるのをサポートすることができます
愛モードにいる人同士は、お互いが愛モードに留まることをサポートし合うことができます
恐れモードにいる人同士も、お互いが恐れモードに留まることを支持しあいます
では、恐れモードにいる人が愛モードにいる人を、恐れモードに変えさせることが出来るのかというと、これは無理です
絶対にできません
もしそう見えるようなことがあるとすれば、それは愛モードにいたはずの人が、実はそもそも愛モードにはいなかったということです
繰り返しになりますが、私たちの多くは1日の中でこの二つのモードを行ったり来たりしています
まずは自分の心を観察して、自分がどちらのモードにいるのか、チェックしてみましょう
心の奥から感謝や感動が溢れてきて止められないような時は、愛モードにいると思って良いでしょう
もう何もいらない、このままで完璧だと、本気で思えるのが愛モードです
不足感や罪悪感を感じているとき、嫉妬している時、不安な時、焦りを感じる時などは明らかに恐れモードです
ではそんな恐れを払拭してくれるような何か、忘れさせてくれるような何かを手に入れて喜んでいる時はどうでしょう?
これはちょっと見分けが難しいかも知れません
ですがその何かを失うことで喜びが崩れるのであれば、やはり恐れモードにいます
愛モードは自分の心以外の要因によって左右されるものではありません
二つのモードについての説明はまだまだ十分ではないのでわかりにくいところや疑問もたくさんあると思いますが、これからゆっくりとみていきましょう
まずはご自分の中の二つのモードの存在に気づいて、「今はどっちかな?」ということを1日に何度も観察してあげてください
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