心の二つのモードについて 6
さて、心の二つのモードについて、ブログ記事を5つ書いたわけですが
読んでいて訳がわからなくなって来た方もいるのではないかと思います
私も、何をどこまで書いて何を書いてないのか?
抜けているところはないか?
果たしてこの説明の仕方で伝わるのか?
よくわからなくなってます
心の話なので、言葉で説明しようとするとややこしいのですが
どの部分も全て、実は誰もが経験のあることだったりします
なのでゆっくり読みながら一つ一つを「自分の場合」に当てはめていただけるとよくわかるのではないかと思います
それと、ややこしいように見えても結局は
「心には二つのモードがあります
私たちの心は常に、その二つのうちのどちらかにあります」
ということを書いているだけなので、実はとてもシンプルなのです
あとは愛モードと恐れモード、それぞれの説明となります
愛モードについては全員が同じなので説明もシンプルになります
それに対して恐れモードはややこしいです
人それぞれ持っている丸バツリストは違うし、恐れモードはいつも物事をややこしく捉えるし、そのややこしさも人それぞれ独自のものなので他の人には理解不能だし、また当人の中でもたくさんの矛盾を抱えていて、矛盾しているのになぜかその考えを信じているという、複雑なものなのです
自分を守るために、その場その場で付け焼き刃で採用して来た考えの集まりなので無理のないことなのですが
どんな時でも、どんなことに対してでも、ややこしく複雑になって答えが見つからない時というのは、そんな恐れモードの考え方の迷宮の中に入り込んでしまっています
この迷宮には出口はありません
「これだ!」と思っても、間違いだったとあとで気づきます
迷宮でぐるぐる彷徨うのをやめて、愛モードに戻ればそこに答えがあります
答えはいつも、そこにあります
迷宮で彷徨っている時は、自分は必死で出口を探して歩み続けていると思い込んでいますが、実は同じところをぐるぐる回っているだけです
それを実感したければ、15分くらいのタイマーをセットして、その間中、頭に浮かんでくる考えを書き続けてみると良いでしょう
手を止めずに浮かんでくるものをずっと書き続けます
何日も考え続けてきた問題についての考えでも、こうして書き出してみるとすごく短い文章しか出てこなかったりします
15分書き続けることができなくて、後半は全然違うことを書いていたということもあるでしょう
でも本来なら、何日も考え続けて来たことを全部書き出したら、本一冊分くらいにはなるはずですよね?
ですがそうはなりません
せいぜい長くても数ページか、下手したら数行の考えを、頭の中でずっとリピートしていただけだということに気づくでしょう
たった10行の同じセリフを頭の中で何百回リピートしても、その問題の答えが出るはずはありません
迷宮のある、そのレベルにいては答えは出せません
答えは別の次元にあります
そう、愛モードです
意識を愛モードに戻して、問題の答えを得る
そのための方法はたくさんありますが
「今この状況の中で私が与えていないものはなんだろう?」
と考えてみるのもその一つです
問題がある時、私たちは被害者になっています
誰かの、または何かのせいで問題があるのです
自分のせいということもありますが、誰かのせいであれ、自分のせいであれ、自分が被害者になっているということに変わりはありません
被害者はこの問題を解決する主導権を持っていません
「今この状況の中で私が与えていないものはなんだろう?」
と考えることで、被害者から「与える立場の者」になります
被害者は問題に対する主導権を持っていなかったので、どうすることもできませんでした
でも与える立場の者には、問題にどう対処するかという主導権と責任があります
自分が与えていないものに気づき、それを与えなければなりません
そしてそれに気づき与えようとした時に、問題は解決に向かい始めます
これは、ここで読んだだけではピンと来ないと思いますが、今自分が問題だと思っていることに対して実際にやってみてください
一度でも経験すると「ああ、こういうことか」とわかります
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