創造の練習(それと美味しいビール)
「創造する」というのは何かを作ることではありません
すでにあるものを再発見する
それが創造するということです
例えば
私から見て問題のあるように思えるAさん
問題があるというのは「私のエゴにとって都合の悪いところがある」ということです
Aさんに問題があるのではなくて「私のエゴにとって」問題となるものがあるのです
Aさんには実は、何の問題もないのです
(例え今は問題大アリに見えていたとしても)
(例えAさん本人も「私には問題がある」と思っていたとしても)
私のエゴの都合を脇に置いて
新しい視線で、まっすぐにAさんを見て見ましょう
こんな風に想像するといいかもしれません
もし、私が必要なものも、欲しいものも、全て手にしていて、しかもそれらを失うことが絶対にないと保証されていて、自分に自信があって、自分のことが大好きで、信頼できる仲間がたくさんいてたくさんいて、自分が完全に完全に満たされているから、人にも愛を向けることのできる、余裕のある人だったら
だったらAさんをどう見るかな?
できれば今、ちょっと時間をとって先に読み進む前にそんな風に今のあなたにとっての問題のAさん(またはAという出来事)を見直してみてください
想像力の豊かな人であれば、すでにちょっと、見方が変わっているのではないでしょうか?
問題はAさんがどうこうではないのです
問題は自分が
先ほど書いたようなそんな余裕のある人
とは似ても似つかない、真逆の存在だと自分のことを思っているということなのです
だからそんな弱い、不十分な、被害者の自分を守るために、あちこちに『〜であるべき!』という信念を信念をばらまいて、それに当てはまらないAさんを「問題だ!」と思っていたのです
問題解決の方法は自分がすでに
先ほど書いたような満たされた、余裕のある人だったのだと思い出すことなのです
そうは思えない?
本気でそう思ってみようとトライする前に、諦めないでください
「そうは思えないけど、そうらしい」とくらい、思ってみてください思ってみてください
そうは思わないけど真実なので受け入れていること、いっぱいありますよね
私は地球がものすごい速さで自転しながら太陽の周りをぐるぐる飛んでいるだなんて、全く実感できません
自分自身の体の仕組みについても「ふ〜ん、そうなんだ!」と思いつつ、実感できていないことがいっぱいです
でも「ふ〜ん、そうなんだ」とは思えます
満たされた余裕のある人であるということも「ふ〜ん、そうなんだ」と思えたら、それこそが、それを実感していくための第一歩となります
そして、その人のフリをしつつ、周りを見回してみてください
見えるものが変わってくるはずです
これが「私は不十分だ(弱い・愛されない)」という、知らず知らずのうちに私たちみんながかけている、エゴの間違った色眼鏡を通さずに、真実を真実をのまま見る練習の第一歩です
イコール「創造の練習」です
一時帰国中の友人がここのオーナーと友達ということで、先日、京都ビアラボに行ってきました!
手作りのビールがとっても美味しかった!
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