心の二つのモードについて 3

前回までのおさらい

1、私たちの心には愛モードと恐れモードの二つのモードがある

2、心は常にどちらかのモードにある(一度に両方のモードにあることはありえない)

3、どちらのモードに心を置くかは自分で決めることができる

4、同じモードにいる同士は、相手がそのモードに留まるのをサポートする

  愛モードにいる人は恐れモードにいる人が愛モードに移るのをサポートできる

  恐れモードにいる人が愛モードにいる人を恐れモードにさせることはできない

5、二つのモードのうち、今意識を置いている方を、今経験する


前回学んだ「二つのモードのうち、今意識を置いている方を、今経験する」ということについてさらに詳しく見ていきます

今意識を置いている方のモードのDVDがプロジェクターに入っていて、そのテーマが外側に投影され、それを経験するということでした

また、プロジェクターが自分の心の中にあるので、目の前にいる人をAさんからBさんに変えてみても、どこに行っても、経験のテーマは変わらないということも、すでに書きました


つまり、自分の心が愛モードの時に目の前に二人の人がいて、Aさんには愛を感じるけど、Bさんには感じないということはありえないのです


愛モードにいる時、私たちは誰を見てもそこに愛を見ます

愛モードのDVDが当てる光の中にあるものは、全て外見を通り越して、その中にある愛が見えるようになるのです

ちなみに愛というのは「好き嫌いで言うところの”好き”」ということではありません

好き嫌いを超えた「私たちは同じ存在」という感覚、相手の中にある完璧さを感じられるものです

相手を尊重する思い、讃える思いと言った方が近いかも知れません

相手と私の間に表面的な違いはあれど優劣はなく、それぞれが素晴らしい存在なんだと実感している状態です

「AさんはAさんで素晴らしく、出会えてよかったです。ありがとう。BさんもBさんで素晴らしく、出会えてよかったです。ありがとう。」といったような感じです。

そして私も私で素晴らしいので、AさんやBさんにしがみつくことも、卑下することも、崇めることもありません



Aさんは好きだけどBさんは嫌いという時、当然私たちは恐れモードにいます

恐れモードにいる時の私たちは「まるバツリスト」を持っています

何しろ「私は愛されるに値しない、価値のない存在だ」がテーマのドラマの中で生きているのですから、愛されるための材料や自分の価値を高めてくれるアイテムはなるべくたくさん集め、愛されない原因や自分が無価値であることをバラししてしまうようなものは隠すか手放すかしていかないといけません

だから「何が良くて何がダメか?」というリストを自分で作り上げ、常にそのリストを参考にしているのです

「目の前のAさんは私のリストの丸印がいっぱい!」だったら当然「好き!仲良くしたい!」となりますし、Bさんといることで私のコンプレックスや罪悪感(自分に付けたバツ印)が刺激されるようだったら、本当の原因はBさんではないのに「Bさんってなんか嫌い」となるわけです

この時の「Aさん好き!」は当然、愛ではないですよね

「私の丸バツリストの丸の項目に当てはまるから合格」なだけですから、Aさんの状況が変わったり、違う面が見えてきたりするとたちまち「期待はずれ」ということもあり得るわけです

いえ、あり得るどころではありません

恐れモードのテーマは「私は愛されるに値しない、価値のない存在だ」で、そのテーマは全ての人に投影されるので、結局AさんもBさんも最終的には「愛されるに値しない、価値のない存在」だということになります

愛されるに値しない、価値のない私の周りには、愛するに値しない、価値のない存在しかいないので「私はひとりぼっち」というのが、恐れモードの核が投影するドラマの結末です

ドラマですから、結末までにはいろんなことが起こりますが、最後は必ずそれで終わります


自分の心が恐れモードにある限り、どんな人間関係も全て対立や幻滅で終わるということです

でもそれだと一人ぼっちになってしまうので、後は妥協と我慢で付き合って行くしかないでしょう






Dolce fer Niente by Nana

1999年にNYのダンス学校に留学、パフォーマーとしてNYで活動 2002年より「アコースインミラクルズ(奇跡のコース)」を学び ヒーリングセンターCRSにてカウンセラー、講師として活動、2015年に帰国 ブログタイトル”Dolce fer Niente"はイタリア語で「何もしないことの甘さ」 何もしないで満たされた時間を過ごせる、心の余裕を目指します

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